【1554年(天文23年)4月】

史実どおり吉見が陶から離反。もともと関係良好じゃなかったんだよね。

天野家の当主が代わった。先代の天野隆綱が亡くなったのかな。そろそろ天野家も毛利に従属してほしいものだが……。

堺の商人に調達を依頼していた鉄砲が入荷。高価(900貫/挺)だけど時勢には逆らえん。

領内某所に軟禁していた捕虜の吉田光倫(よしだ みつとも。元尼子家)と青景隆著(あおかげ たかあきら。元陶家)を登用。青景隆著は、大内義隆の奉行人を務めていたが、義隆が相良武任を重用したため、これを妬んで陶隆房(晴賢)に讒言したといわれている。

【1554年(天文23年)5月】

本城隆光は勇将・本城常光の長男。もっとも常光は今、毛利の捕虜として軟禁されているけど……。また常光は、元就が滅ぼした高橋氏の最後の当主・興光の弟ともいわれているらしい。

一向に毛利から解放される気配のない父親にしびれを切らして、元服を機に家督を相続することにしたんだろう。

【1554年(天文23年)6月】

先月の本城家の再来。陶晴賢の嫡男・長房が毛利領内に軟禁中の父を差し置いて家督相続。

【1554年(天文23年)7月】

武勇8の力量をこのまま朽ちさせるのはもったいないので、江良房栄を登用。利にさとい性分と思われるので、それとなく監視を続ける必要はあるだろうな。

単身、丸屋城を攻めていた陶持長を小早川勢が駆逐。

【1554年(天文23年)8月】

今川義元の軍師・太原崇孚が間を取り持ったとか。

甲斐の武田信玄、相模の北条氏康、駿河の今川義元が駿河の善得寺に集まり、三氏間の婚姻を媒介とした三国同盟が成立した。(中略)この同盟によって、進言は信濃制圧、氏康は関東制圧、義元は西進のために、それぞれ後顧の憂いを断つことができた。【クロニック戦国史】より

どうも来島の波方城がウェークポイントになっている。直轄領じゃないので、城普請ができないのが痛い。河野がいつちょっかいを出してくるかを気にしながら、石見攻略~防長経略に進むのがしんどくなったので、このあたりで……

【1554年(天文23年)9月】

またもや小早川勢が、有崎城を攻めていた陶軍を駆逐。

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