【1553年(天文22年)11月】

周布家当主は周布元兼。大内氏滅亡後に毛利傘下に入り、吉川元春の配下として播磨上月城攻めで討死したそうな。

【1553年(天文22年)12月】

陶持長が有崎城に単身殴り込みをかけてきた。ええ根性しとるわ。「ワシひとりでどうせえ言うんない!?」と半泣きでケツを割った『仁義なき戦い~代理戦争』の槙原政吉に、爪の垢でも煎じて飲ませてやりたい。

河野軍に攻められている波方城だが、このままだと来月には落城しそう。小早川隆景に救援させるか。

【1554年(天文23年)1月】

三好家と筒井家の比較。

【三好家】
当主:三好長慶
城数:27
石高:27万4720石
足軽兵数:2077
騎馬兵数:597
鉄砲数:0

【筒井家】
当主:筒井順政
城数:19
石高:16万9423石
足軽兵数:2367
騎馬兵数:430
鉄砲数:18

やや三好の方が優勢と思われる現状だが、その三好家から……

特に接点はないんだけど、どういう意図かね? ま、当面は衝突の可能性がないので受諾しとこう。

さて、落城寸前の波方城に小早川隆景率いる水軍が参陣。水軍統率能力7の浦(乃美)宗勝を水軍大将にすえて大暴れ。敵も能力7の忽那通実が指揮を執っていたが、何とか撃退に成功した。

【1554年(天文23年)3月】

三村家の家臣らしい。しばらく備中方面には目を配っていなかったが、三村家は尼子に滅ぼされてしまっていた。

このイベントはどういうわけだろう? 確かにここしばらく尼子とは交戦していなかったけど。

でも、北条は依然として臣従含む石高ナンバー1ですよ。もう少し寄ってたかってダメージ与えたほうがよくね?

強襲を続けていた本明城をやっと落とした。

山の中の一軒家というか……周囲に見事に何もない。

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