【1550年(天文19年)11月】
次は予定どおり、温湯城の攻略に向かう。
あまり小笠原を追いつめると、思いあまって尼子に臣従してしまうかもしれんな。尼子の援軍がやって来られたらちょっと厄介だけど、もう後には引けんし……。小笠原長雄も刺賀長信も史実では毛利に帰順したんだから、このあたりで尼子を見限って、さっさと毛利の軍門に下ってくれよ。
例によって、吉川元春率いる吉川勢が温湯城に向かって出陣。小笠原勢も迎撃の構えを見せたが……
刺鹿長信は討死。残った足軽兵4も負傷してるだろうから、刺鹿隊は全滅だな。
刺鹿長信は退却じゃなくて討死したんでしょ。システム的には、個々の合戦で死亡フラグを立てておいて、出陣フェイズの最後にまとめて死亡処理を実行しているようだ。
【1550年(天文19年)12月】
先月に続いて温湯城。いわゆる「つり出し作成」で野戦に持ち込み、守備側の兵をできるだけ減らしておく。
26キロほど西では、尼子国久率いる尼子軍が福屋隆兼の本明城を兵糧攻めで落とした。福屋隆兼は自決し、子の福屋隆任は逃走。
福屋隆兼。毛利→尼子→松永久秀→尼子勝久→蜂須賀家政と史実では流れに流れた男だが、ここではあっさり舞台から消えてしまった。
【1551年(天文20年)1月】
2隻目の軍船が完成。軍船1隻で1000人の兵を運べます。
【1551年(天文20年)2月】
例によって最後は力で押し切り、温湯城攻略!
小松地城まで獲って小笠原を潰すこともできそうだけど、それをやると防衛正面が小松地城・温湯城・重富城の3箇所になり、兵力を分散させる必要が生じるのでよろしくない。温湯城・重富城の2箇所で固めよう。
小松地城の先、岩山城を大内軍が攻略したようだ。石見銀山、一時的には大内に獲られてしまうかもしれないな。
備後では、相変わらず山内家と久代宮家が不戦同盟締結と破棄をくり返しつつ、小競り合いを続けている。いい加減にしろよ。