【1550年(天文19年)8月】

前月の重富城攻略戦で捕虜にした武将たちの様子をうかがってみると…

そろって「登用拒否」。ま、そりゃそうだよな。腐っても鯛、出雲守護代を務めた名門だよ。

重富城を落とした勢いに乗って、石見小笠原家の雲井城攻略に着手。あまり関係ないかもしれないけど「大寧寺の変」発生前に雲井城と温湯城は手に入れておきたい。

第一次野戦は、言うまでもなく吉川元春率いる毛利軍の勝利。ほぼ吉川軍と言ってもいい顔ぶれだ。

小笠原長雄と寺本玄蕃は温湯城に退却。

それにしても吉川興経と吉川元春とのそろい踏み。珍しいというか、史実では絶対に見られないし、あり得ない。興経はあと数ヶ月で元就によって謀殺されるはずなんだけど、どうなるか。

【1550年(天文19年)10月】

平川久親の情報は乏しいんだけど、史実では毛利に服属していたらしい。ゲームでは同じく毛利に従属する馬屋原家に居城・紫(むらさき)城を奪われたようだ。味方同士で争って戦力を消耗するとか……勘弁してくれ。

ところで「馬屋原」って「うまやはら」か「まやはら」か、どう読むんだろうか?

さて雲井城攻略だけど、第一次野戦の後は、数回の小競り合いのみ。最後は援軍に駆けつけた毛利隆元らの兵を合わせて2700の総兵力で西の斜面を登って総攻撃を敢行。数と力で押し切って雲井城攻略に成功した。

史実では1557年(弘治3年)、吉川元春率いる毛利軍に攻められて落城しています。

寺本伊賀守とやらを捕虜にした。

直接関係ないけど、美作・篠葺城の戦い(詳細不明)で尼子家の亀井秀綱が討死したようだ。

亀井秀綱って、元就にとっては相合元綱の一件以来の仇だからな。ある意味、自らの手で腹違いの弟の無念を晴らしたかったという思いもあるかもしれない。いや、あっさり敵の口車に乗って自分に刃を向けるような弟に同情するような元就じゃないか。

大永4年(1524年)、元就の弟である相合元綱らを教唆しクーデターによる元就打倒を画策したが、智略に優れる元就が先手を打ち、この策略は失敗に終わっている。これにより元就が寝返ったとされる。「Wikipedia 亀井秀綱」

いずれにしても、また一人、重臣を失った尼子家。完全に落ち目だな。新宮党の尼子国久は健在だけど。