【1550年(天文19年)4月】

待望の沼田小早川家併呑イベント発生!

沼田(小早川家)の当主だった繁平はこの年9歳。父の正平が富田の陣(第一次月山富田城の戦い)で戦死したため、幼くして家を継いでいたのだが、眼病を患い、このころに失明していたとされる。

先行きに不安を感じた沼田重臣の乃美隆興・景興父子や椋梨盛平らは、繁平を廃して隆景を繁平の妹(問田大方)と娶せて養子とし、新当主とするプランを考えたのだ。隆景を迎えれば沼田と竹原は統一され、小早川家は大いに強化される。

素晴らしい合併計画だが……無論、彼らの背後にいるのは元就である。1548年(天文17年)ごろに元就の継室となった乃美大方は隆興の妹(または娘)であり、乃美と毛利はべったりの関係にあったのだ。

無論、沼田家には田坂善景ら反対派もいたのだが、彼らはすべて隆景派の手で粛清されることになる。

小早川氏は瀬戸内海の島々にも勢力を持ち、強力な水軍を備える有力国人であった。これで元就は、山陰道・石見方面の吉川に加え、山陽道・瀬戸内方面の小早川という二大勢力を末家としたのだ。生涯をかけた「両川体制」の基礎は一気呵成に仕上げられたのである。「毛利元就『猛悪無道』と呼ばれた男」より

さて、このイベントによってゲーム的には、直轄の石高が5万1905石から7万4045石に増加。

武将も増えた。水軍統率能力が高い浦宗勝や乃美隆興の加入は大きい。そろそろ軍船の建造も始めるべきだな。

それに、三原城を手に入れたことで木村城と合わせて領内の貿易港が2つになった。あれ? 三原城って築城は1567年(永禄10年)だから、まだ存在していないはず。ま、いいか。

そういった状況をふまえて今後の戦略だけど……

水軍を手に入れたとはいえ瀬戸内方面は、大内家にしろ三島(能島・来島・因島)村上家にしろ同盟を結んだ友好勢力なので、事を起こすわけにはいかない。

備後方面で、国人同士のいざこざに介入して領土を広げたいのはやまやまだが、敵勢力と直接対峙する正面がないので動くに動けない。

そうなると残るは石見方面ですな。

幸か不幸か、九州の大友と和睦した大内がこの方面に触手を伸ばして、尼子の抗争が激化している。そのあたりにつけ入る隙がありそうだ、と考えて地図を眺めていると……あったあった。実においしい状況が。

福屋家の重富城。尼子晴久以下の尼子誠久・宇山久兼・本城常光といった錚々たる面々に包囲攻撃されて、おそらく今月末には落城予定。

ここで問題になるのが隣接する三子山城と本明城。三子山城は大内勢の猛攻にさらされて今月落城はほぼ確定。一方の本明城は尼子勢に取り囲まれて兵糧攻めにされているが、こちらは数ヶ月はもちそう。すると来月の時点でどういうことになるか。

重富城を落とした尼子晴久らは、喜びも束の間、敵中に孤立する!

雲井城の小笠原家は尼子に従属しているけど、臣従ではないことに注意。重富城の尼子勢は従属勢力の城には足を踏み入れることはできません。

つまり、撤退可能な城がないので尼子勢は重富城に籠城するしかない。3ヶ月ばかり包囲すれば兵糧は尽きるな。

よし、方針が決まったところで内政に移って、そろそろ軍船を建造せねばなるまい。

三原城からは堺に交易船を送れるようだ。

出陣フェイズでこうなりました(↓)。

重富城(福屋家)は出雲尼子家に攻められています
→ 重富城は強襲により落城しました
三子山城(出雲尼子家)は大内家に攻められています
→ 三子山城は強襲により落城しました

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元就と毛利両川

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