【1549年(天文18年)7月】

山内家と久代宮家が不戦同盟を締結。先月、山内豊通らが久代宮家の大富山城を落としたんだよね。獲るもの獲って、ちゃっかり講和か。

【1549年(天文18年)8月】

約20年後、浦上宗景は宇喜多直家に寝首をかかれることになるんだけど……。

【1549年(天文18年)10月】

大友家と大内家は不戦同盟を結んだ模様。さて、これが中国路にどう影響するか。

【1550年(天文19年)1月】

【1550年(天文19年)2月】

義鑑の義鎮廃嫡については、義鎮の生母は公家の坊城家の娘、あるいは大内義興の娘とも言われ、家中からの大内氏の勢力排除のために計画された事であるとも考えられている。二階崩れの変は、一般的には追いつめられた義鎮派の一部による暴走であると考えられているが、義鎮が陰で動いていたとも言われている。「Wikipedia 二階崩れの変」より

大内軍が海路、石見・三子山城に殴り込み。大内-大友講和の結果、攻撃の矛先を東の尼子に向けてきたようだ。

大内勢の内訳を見ても、誰が総大将なのかよくわからん。

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完訳フロイス日本史〈8〉宗麟の死と嫡子吉統の背教―大友宗麟篇(3) (中公文庫)
ルイス フロイス
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