尼子による琵琶甲城および比叡尾城への攻撃をしのぎながら……1551年(天文20年)6月(史実では9月)に至って「大寧寺の変」勃発。

史実どおり、佐東銀山城が毛利の所領になった。

吉田を中心とした山間地域の所領が大半だった毛利家は、瀬戸内海への出口を確保したことになる。のちに毛利輝元がこの地に城を築いて本拠とした。広島城である。

さらに1551年(天文20年)10月。

日野山城・安芸高山城・桜山城を確保。今後の軍事侵攻を支える財政基盤が大幅に強化された。このタイミングまでは積極的攻勢を控えるのが得策かもね。